2023メール碁会通信(21)

 2023.  5. 27

 歴史散策「東叡山寛永寺」       吉田道人

約3年間続いたコロナの影響で、会員同士が集まれる場を作ることが難しい状況でしたが、コロナの5類移行が決まり、やっと集まることができるようになりました。これからは色々な企画を立てていきたいと考えています。

その第一弾として、身近に行える歴史散策を計画し、5月17日に14名で「東叡山寛永寺」と銘打った歴史散策を行いました。当初は、4月26日に計画しましたが、生憎の雨により延期をしました。17日は晴天になりましたので、辛抱した甲斐がありました。

上野公園は何回も行ったことがありますが、元は旧寛永寺の土地で、現在の噴水がある場所に、32M高、間口45Mの巨大な根本中堂が建立されていたことを知り、また寛永寺にも行ったことがありませんでしたので、興味が広がり、今回の計画に繋げました。

私自身は歴史に詳しくありませんので、ネット検索を主体に調査した結果を説明させていただきましたが、歴史マニアの方から見ると物足りなかったかもしれません。参加者の皆様のご支援で何とか終えることができましたこと、皆様のお陰だと思っています。

今回資料を作成したときに感じたことは、浮世絵の素晴らしさです。今回のテーマの時代は幕末です。この時代では、まだ写真は一般的なものではありませんので、引用することはできません。その代わり浮世絵が沢山あり説明資料に使いました。焼失した根本中堂が賑わう場面、焼失した原因となる上野戦争の様相、不忍池の周りの競馬場の様子、等、は大変興味深いものでした。

旧岩崎庭園の見学からスタートし、不忍池辨天堂から清水観音堂に行き、有名な「くるりの松」を囲んで記念撮影、上野東照宮では境内の中に入り、金色堂前で「日光東照宮があれ程までにも豪華絢爛な装飾にしたのか」について説明。午後は、旧寛永寺の黒門があった近くで、新政府軍と彰義隊が戦った上野戦争について説明を行い、その後30℃を超える暑さを避けるため、上野公園の木々の間を歩いて、途中「黒田清輝記念館」へ寄り道をして寛永寺に向かいました。

寛永寺では、根本中堂、境内の見学の後、霊園の入り口付近に建っている常憲院(綱吉)霊廟勅額門の前で、家康は何故日光に墓を建てたのか、それに加え、徳川家全将軍の墓の場所について説明を行いました。

今回参加された方は次の通りです。4月26日時点は20名の参加予定者でしたが、延期した影響で14名の参加者です。

青山久恵 上坂且 梅田芳男 梅本敬造 神西貴代 川村麻沙子 工藤武佑 清永忠

庄司元昌 早瀬藤二 行平裕子 矢野裕幸 梶昭次郎   吉田道人 (敬称略)

  

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